遠州富士自画賛 宗慶箱 峯島有芳庵旧蔵
(全体 縦 101cm 横 36cm・本紙 縦 21.5cm 横 24.5cm)
“ よものとき あかすそ見まし 富士の根や
花も紅葉も 雪にたぐへて ”
葡萄とリスの刺繍表具が瀟洒な、悠々とした富士の画賛です。
遠州が江戸と京都を往来する中で目にした富士山を描き、
和歌を添えた一連の自画賛のが伝わっており、
本品もそのうちの一つです。
遠州の手記として有名な東海道旅日記(辛酉紀行)の中にも、
このような富士山を称える和歌が記されており、
その旅路に思いを馳せてみたくなります。
小堀宗明時代の門人、峯島有芳庵の旧蔵品です。
堆朱布袋香合
(全体 縦7.9cm 横 3.2cm)
堆朱は器胎に朱漆を塗り重ねて、そこに文様を彫った彫刻漆器です。
中国宋代以降盛んとなり、日本には鎌倉時代に伝来し、
その後唐物趣味の流行で珍重されました。
くっきりと浮かび上がる布袋に唐子。
その柔和な表情と、それを囲む緻密な地紋とが荘厳さを際立たせています。
茶道創成期の香合らしい古格を備えた逸品です。
玄々斎共筒茶杓 詩銘清渚 共箱 小津松洞庵伝来
裏千家11代家元である玄々斎精中は三河国松平家からの養子で、
幕末-明治期の激動の時代に茶道界を支え、
流儀を超えて近代茶道の基礎を確立しました。
いせのうみ 清き渚の 名もしるし(その名に違わない)
ひかりことなる 玉をみるかな
伊勢の二見浦は、
常世の国からの波が現世で最初にたどり着く神聖な場所として、
古来より清渚と呼ばれ、歌にも詠み込まれてきました。
茶杓は玄々斎形の景色に富んだシミ竹で、
櫂先裏と共筒には、それぞれ題の清渚とその歌が流麗に書き付けてあります。
玄々斎らしい教養の深さを感じる名杓です。
淡々斎の箱書が添い、
また玄々斎とも縁深い伊勢の名家・小津松洞庵の伝来がございます。